芸人の仕事だけでなく絵を書いたり書籍を販売したりと多方面で活躍しているお笑い芸人の千原ジュニアさん。
今でこそ「人当たりの良い優しいお兄ちゃん」のようなイメージが広く持たれていますが、彼にはその昔「ジャックナイフ」というあだ名がつけられていました。
今回はそんな彼の波乱万丈の半生と共に、「芸人・千原ジュニア」の魅力を紹介していきます!
是非最後までご覧下さい。
千原ジュニアの人見知りだった生い立ちを徹底調査!
出典:Yahoo!ニュース
千原ジュニアさん(本名:千原 浩史さん)は1974年3月30日に京都府の福知山市に生まれました。
幼い頃は、引っ込み思案でいつも兄のせいじさんの後ろにくっついて回るような甘えん坊なところがありました。
が、だんだんと活発になっていき、近所では「悪ガキ」と扱われるように…
特に小学校の頃に友達の家に遊びにいくと友達は留守だとその子の親に言われ、帰ろうとすると家のなかから「あの子と遊んだらあかん!」という声が聞こえてきたというエピソードもあります。
出典:レジュメディア
そんな少年だった千原ジュニアさんですが、意外にも中学校は私立の進学校に進んでいます。
しかしわざわざ受験をして進んだその学校は、受験対策バリバリの学校でした。
2人の教員が常に授業に対応し、偏差値の高い大学への進学のために勉強に相当ちからを入れていました。
そんな学校環境になじめなかったジュニアさんは、気の合う友達も見つからなかったので、周囲に壁を作っていたと後に語っています。
千原ジュニア、中一の時から不登校に きっかけは先生
そんな彼は2年生に進学する前に不登校生になりました。
14歳~15歳までの期間です。
今でこそ明るくてよく笑う印象のある彼ですが、当時は「かなりひねくれていた」らしいです。
千原ジュニアさんは学校で鉛筆を削るために小型ナイフをおじいちゃんから借りて学校に持っていったそうですが、ある日も持ち物検査で事件は起こります。
ナイフを見つけた担任の先生が彼に「なんでこんな物持っているんだ?」と聞いたところ「鉛筆を削るためです。」と答えたジュニアさん。
しかし先生は「これで人を傷つけたらどうするんだ。」と詰め寄ります。
そこでジュニアさんは「そんなこと言ったら野球部が教室に置いてあるバットも同じでしょ」と答えたらしいのです。
すると先生が「へ理屈を言うな」と怒り、自分が持っていたボールペンでジュニアさんの額を突いたそうです。
ジュニアさんはその時の先生の行動を「めちゃくちゃなことするな」と思い、そこから学校へ行かなくなったと言う事です。
勉強ばかりのカリキュラムで、教員にはこれほど高圧的な態度を取られ、ジュニアさんはこの学校で自分は何も得るものはないと感じて家に閉じこもるようになりました。
千原ジュニア、引きこもる生活も苦しかった
引きこもるようになってしまった生活についてジュニアさんはこのように振り返っています。
たまには、学校に行ってみようという気持ちになって教室に入り自分の席に着いてみる。
するとだんだんと、ものすごい違和感を感じて、「ここには自分の居場所がない」と感じてしまったのだとか。
そうしてまたしばらく自宅の自分の部屋にこもり始める・・・
そんな繰り返しをしていたということです。
本当に一人になりたかったため、自宅でもリビングよりは自分の部屋が一番落ち着いたのだそうです。
一年以上、引きこもり期間があったということなので、相当苦しい日々が長く続きましたよね。
ジュニアさんは、『十四歳』という小説を2009年に出版しています。
ジュニアさんの中学時代のやるせない思いを彷彿(ほうふつ)させるような内容で、とても高評価を得ている小説です。
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活発で明るい性格である一方で非常に繊細なところのあるジュニアさん。
思春期は、誰しもが生きづらさを感じたりする大変な時期ですが、ジュニアさんは特に不運な出来事もあり、引きこもることで心の傷をいやす時間が必要だったのかもしれませんね。
千原ジュニア、兄のせいじと共に吉本へ
出典:NHKアーカイブス
そんな多感な中学・高校時代を過ごしたジュニアさんに転機が訪れたのは15歳の時。
学校に行かなくなっていた彼がおばあちゃんの家に引きこもっていた時の事です。
4歳年上で19歳の兄、千原せいじさんはお笑い芸人になるために大阪にある吉本興業にいました。
そんなお兄さんから「学校行っていないならこっちに来いよ」と誘われたジュニアさんは「ここにいてもやる事ないし」と思って大阪にある養成所・NSCに入学します。
同期にはFUJIWARAやバッファロー吾郎などの芸人さんたちがいる中、ジュニアさんがNSCに入学すると、兄のせいじさんから「明後日ネタ見せがあるからネタ書いてきて」と頼まれたそうです。
千原ジュニア、初めて作ったネタが大うけ!
それまで全くお笑いに興味のなかったジュニアさんですが、中学の時に先生にボールペンで頭を突かれたエピソードをもとにネタを書きます。
結果的にそれが大ウケし、そこから芸人としての一歩を進めることになりました。
千原ジュニア、付いたあだ名は「ジャックナイフ」
出典:Amazon
【ジャックナイフ】
また彼がもともと切れ長の目をしていたことや、お笑いに対してストイックだったことも相まって、周囲からは「ジャックナイフ」と呼ばれるようにもなりました。
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さらに彼は他の芸人をライバル視することが多く、たまたま道で会った芸人相手に大喜利の勝負を挑んだというのは有名なエピソードです。
これはよくいろんな芸人さんがテレビなどで語っていますが、道端で会って突然大喜利の勝負を仕掛けられたらたまらないですよね。
その場の芸人さんが驚いていたなか、小藪さんだけが「やりましょか」と一歩前に出たというのも面白いエピソードです。
ジャックナイフ・千原ジュニアさん! #ミステリと言う勿れ pic.twitter.com/fU8YFYU8Ig
— うにいくら (@uni_ikura_11) February 7, 2022
加えて彼は引きこもりから一転して芸人になったことで「かなりの人見知りだった」とのちのテレビで語っていました。
女性への人見知りも元来のことのようで、以前テレビで芸人さんたちを女性に見立てて合コンの練習をする企画ではその人見知りぶりを発揮していたこともありました。
そういう数々のエピソードから視聴者の皆さんにもジャックナイフというあだ名が浸透していったのではないでしょうか。
千原ジュニアバイク事故による後遺症。手術後は良好
出典:Yahoo Japan
【交通事故前の千原ジュニア(左)現在の姿(右)】
千原ジュニアさんの半生を語るのに忘れてはいけないのが2001年に起こしたバイク事故。
石柱に思い切りツッコんでしまう自損事故を引き起こして、全身に大怪我を負ったジュニアさん。
頭蓋骨が割れ、顔の怪我がひどく額の神経が切れ、目玉は飛び出さんばかりとなり、鼻はグシャリとつぶれてしまいました。
「もう人前に立てるような顔には戻らない」と覚悟したといいます。
手術も長時間にわたり、まさに生死の境を彷徨いました。
出典:livedoor
当時の写真を見ると、いかに怪我がひどいものだったのかが分かりますね。
千原ジュニアを見るたびに思うのは
バイク事故で顔がこんなになったのに
よくバイクの世界に戻ってきたなってことです。 pic.twitter.com/fUhFo82lrD— ひろちょ (@hirocho46) May 31, 2018
この怪我で、芸人をあきらめようとしたジュニアさんでしたが、兄のせいじさんの強い励ましや仲間の応援が沢山あって、顔の形成手術を受けることを決意。
奇跡的に手術が成功し元の生活に戻れる状態には戻りましたが、その顔の形成手術を担当したのが、かの有名な高須クリニック院長の高須克弥さんであるのも有名です。
また事故の後遺症として涙腺が狭窄してしまい、鼻水が涙として流れてくるという状態だったこともありましたが、現在は手術により治すことに成功しています。
出典:ねとらぼ
最近では股関節の具合が悪いと話題になりました。
実は、これもバイク事故で負った大怪我の後遺症である可能性が高いと本人が言っており、現在でも歩くのに、少し不自由な状態なのだそうです。
それだけ大きな交通事故から生還し、ここまで人気を博して現在も大活躍されているジュニアさん。
困難な状況に負けずに、もう一度立ち上がる精神的な強さ、そして励ましてくれる家族や仲間に恵まれているということがジュニアさんのスゴさなのかもしれませんね。
千原ジュニア、ジャックナイフを止めたきっかけは?
若手時代、ジャックナイフとして尖りまくっていたジュニアさん。
でも、今はすっかり優しい印象の芸人さんとなっています。
一体どのようにしてジュニアさんの性格は変わっていったのでしょうか?
ジュニアさんが変わるきっかけを作ったのは、ジュニアさんの先輩芸人でした。
千原ジュニアを変えたのは板尾創路だった!
20歳になったころのジュニアさんは、お笑いに対しては「何パーセントかの人たちが笑ってくれればそれで良い」と発言したり、自分が出版した本の前書きには「この本を万引きしろ・・・」などと書いてみたりと今では考えられないような言動をとっていました。
こうしたジュニアさんの言動に対して、板尾創路さんが苦言を呈しました。
「お前のテレビの出方はなんや! 地球上の、ほぼほぼがお前より年上や! 今日、大阪の街歩いてたら、みんな『ジュニアさん、ジュニアさん』って呼ぶよな? それこそ志村けんさん見てみ。東京でみんなから『志村! 志村!』って。あれが芸人のあるべき姿や!」
はっきりの自分の悪いところを指摘されたジュニアさんは、「すみませんでした」と素直に謝ったということです。
尖っていても、先輩の話を聞いて素直に謝れるというのは素晴らしいですよね。
芸人としてたくさんの仲間や先輩と接していく中で、だんだんジュニアさんは、柔らかさのある性格へと変わっていきました。
千原ジュニア 現在はジャックナイフから〇〇ナイフに
そんな千原ジュニアさんですが、現在は2人の男の子のパパでもあります。
SNSなどで子供の写真を投稿したりなど、すっかりジャックナイフと呼ばれていた頃の面影は消えています。
出典:インスタグラム
【長男と手つなぎで歩く千原ジュニア】
また、芸能関係での交友も幅広く、芸人さんはもちろんのこと作家さんやミュージシャンの方々との繋がりが多いようで、音楽プロデューサーの蔦屋好位置さんとは大の仲良しだとか。
若かりし頃の彼を知らない人からしてみればジャックナイフと呼ばれていたことが信じられないと思う人もいるのではないでしょうか。
そんな彼の変わり様から、番組などでは周囲の芸人さんたちから「バターナイフ」と呼ばれていじられることも多々あります。
@woisyan 千原ジュニアが性格丸くなってからバターナイフと称されてるってのを思い出したもんで。
— コロリ🧀٩ξ( ˘ω˘ )ξ/🍥 (@5101Tmd) March 15, 2011
LINEニュースの千原ジュニアのやつ、ジャックナイフからのバターナイフに不覚にも笑ってしまった pic.twitter.com/X7DqPslg7s
— ぱーちく (@pa_chiku339) May 5, 2019
事故を起こして入院していた時にたくさんの芸人仲間がお見舞いに来てくれたというエピソードをよく語っています。
それだけ当時からジュニアさんの人柄は良かったのでしょうね。
今や周りの芸人からいじられているところを観ても、彼本来の人柄の良さが垣間見えます。
まとめ
今回は人気芸人の千原ジュニアさんについてまとめていきました。
ジャックナイフと呼ばれていたジュニアさんの過去や現在の様子まで、数々のエピソードを交えながら紹介しました。
現在のジュニアさんしか知らない人からすれば驚きの内容だったと思います。
これからもその優しい眼差しで私たちをたくさん笑わせてくれることでしょう。
最後までご覧いただきありがとうございました!
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