パンサー尾形、仙台育英高校のサッカー部キャプテンだった!

パンサー尾形 トリオ芸人

人気お笑いトリオ、パンサーのボケ担当である尾形貴弘さんは、実は意外な経歴の持ち主。

なんと高校サッカー界のエリート軍団、仙台育英高校サッカー部のキャプテンを務めたことがあるのです。

今回はそんなパンサー尾形さんの、お笑い芸人以外の魅力について紹介していきます。




パンサー尾形 仙台育英高校のサッカー部キャプテンで元10番だった!

パンサー尾形
出典:サカネタニュース

冒頭で紹介した通り、パンサーの尾形さんはあの名門の仙台育英高校サッカー部のキャプテンだった経歴があります。

仙台育英高校のサッカー部といえば、高校サッカーの聖地である全国高校サッカー選手権になんと34回も出場しています。

仙台育英高校サッカー部
出典:高校サッカードットコム

まさに名門中の名門と呼ばれる、そんなエリート高校のサッカー部において、パンサーの尾形さんはキャプテンを務めていました。

尾形さんがキャプテンをしていた高校3年生の時には全国大会に出場することはできませんでした。

それでも「仙台育英高校サッカー部のキャプテン」というだけでもすごいですよね。

パンサー尾形は、仙台育英高校サッカー部の司令塔!

しかもそれだけに止まらず、尾形さんはなんとそこで背番号10番を背負ってプレーしていました。

サッカーにおいて背番号10番はチームのエースであり司令塔です。

お笑い芸人やタレントのなかには尾形さんのように名門高校でサッカーをしていたという人もいます。

尾形さんほど実力のあった人はおそらくいないのではないでしょうか。

パンサー尾形
出典:ゲキサカ

現在の尾形さんは「天然」で「おバカキャラ」のようなイメージですが、当時はかなり真面目なキャプテンとしてチームを引っ張っていたようです。

パンサー尾形
出典:仙台育英学園

また高校を卒業したあとは「サッカー推薦」で、これまた名門の中央大学サッカー部に進んでおり、これだけをみても尾形さんの実力がわかりますね。



パンサー尾形、サッカーを始めたきっかけは?経歴は?

青春時代をサッカーに注ぎ込んだパンサー尾形さんですが、一体どのような経緯でサッカーを始めることになったのでしょうか。

パンサー尾形がサッカーを始めたのは小1から

尾形さんは宮城県の東松島という田舎町で育ちました。

そして尾形さんが小学校1年生の時、神社でサッカーをしていた年上の兄さんたちに誘われたのがきっかけだったそうです。

そこで小学1年生ながらにお兄ちゃんたちをドリブルで抜いていくことに楽しみをおぼえ、そこから一気にサッカーにのめり込んでいったのだとか。

尾形さんは当時のことを「こんなに気持ち良いことがあるのか!」と振り返っています。

パンサー尾形はサッカーにのめり込む

その日のうちに父にサッカーをやりたいことを話した尾形さんは、すぐに少年サッカーチームに入団することになるのです。

その時のことを尾形さんは「漫画のように、電車の最前列の車両から最後尾までドリブルで駆け回っていました。」と語っていました。

まさに絵に描いたようなサッカー少年だったそうです。

そんな尾形さんは中学校でもレベルの高いチームでプレーすることを望み、自宅から離れた中学校に進学することになります。

パンサー尾形、ボランチで力を発揮するように

もともとドリブルが得意だった尾形さんですが、中学校のサッカー部ではボランチという守備の役目を担うポジションを任されることになったのです。

当時の尾形さんはドリブルで活躍することを夢見ていたためかなり不満もあったようなのです。

しかし、仙台育英高校に進学してもボランチのポジションをすることになり「中学の経験が生きた」と後に語っています。

パンサー尾形
出典:整形の館
【高校生の尾形】
仙台育英高校では背番号10番をつけ、さらにキャプテンとして活躍しました。

その実力が認められ、「サッカー推薦」として大学サッカーの名門校である中央大学に進学することに。

もちろんプロのサッカー選手を目指して進学したそうですが、中央大学のサッカー部では目立った活躍はできませんでした。

そのため大学までで、サッカー人生を終えることを決めたそうです。

元日本代表、中村憲剛選手はパンサー尾形の後輩!

中村憲剛
出典:サカノワ

後にわかったことですが、元日本代表のボランチとしてプレーした中村憲剛選手は後輩として一緒にプレーしていたそうで、そこだけでも中央大学サッカー部の強さがわかると思います。



パンサー尾形 心を動かしてくれた父の名言とは?

パンサー尾形
出典:週刊女性PRIME

そんな輝かしいサッカーの経歴を持つ尾形さんですが、実は全てが順風満帆ではなかったといいます。

パンサー尾形、中学時代はサッカーに悩む…

それは尾形さんが中学生の時でした。

当時宮城県の選抜チームに選出された尾形さんでしたが、周りは自分よりもうまい選手ばかり。

また田舎からきた少年とは違い、そこにいた選手はみんな都会の出身で、身につけているものも「オシャレ」なものばかりだったといいます。

せっかく選抜チームに選ばれたものの、そんな思春期ならではの悩みもあり、だんだんと消極的なプレーをするようになっていったそうです。

思春期のパンサー尾形を救った父の言葉とは?

そんな尾形さんの姿をみた父は、「勘違いしてないか。お前に誰も期待してないし、お前がサッカーが上手いとかはどうでもいい。楽しくやれば良いんだよ!」と声をかけたそうです。

その一言で吹っ切れた尾形さんはその日の練習で、持ち前の見事なドリブルを披露。

最終的には選抜チームでもレギュラーの座を勝ち取ったといいます。

「大学、そして社会人までサッカーを続けられたのは親父のその一言のおかけです。」

と後に尾形さんは語っています。

もちろん父は「期待していない」なんて思っていなかったと思いますが、それでも息子のためにハッパをかけたのでしょう。

尾形さんのことを一番近くでみていたからこその発言だと思うと、その親子愛に感動します。

また、親という存在のすごさを改めて感じさせてくれるエピソードですね。



パンサー尾形、サッカーを辞めて芸人になったのはなぜ?

そんなスポーツ少年として人生を歩んでいた、尾形さん。

前述した通り、大学のサッカー部ではレギュラーとして活躍することなくサッカー人生を終えることを決めます。

中央大学といえば明治大学や学習院大学など、有名私立大学とならんでGMARCHと呼ばれるほどの大学です。

パンサー尾形、大学卒業後は就職していた

サッカー推薦で大学に進学したといえど、尾形さんは中央大学を卒業後、大手企業であるリコーに就職しています。

そんな順風満帆な生活を捨ててまで、なぜ芸人になる道を選んだのかについて、尾形さんが語っているところは確認できませんでした。

しかし何事にも常に全力を注ぎ込んでいる姿勢をみると、きっと芸人を志したのも何か熱い理由がありそうですね。

パンサー尾形、将来はサッカー指導者の夢も

パンサー尾形
出典:集英社

これから尾形さんが芸人になった経緯について語られることもあるかもしれないので、注目していきたいところです。

まとめ

今回は人気お笑いトリオ、パンサーの尾形さんについて紹介してきました。

普段は「天然キャラ」や「おバカキャラ」という印象が強い尾形さん。

サッカー一筋で、さらに名門校でキャプテンを務めたというのは意外な一面でしたね。

また、中学生の時に父から言われた言葉を今でも大事に心に留めているという所も、尾形さんの素直で実直な人間性が感じられるエピソードだったと思います。

パンサーの3人、そして尾形さんのこれからの活躍が楽しみですね。

最後までご覧いただきありがとうございました。

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